絵で語る「こんなイメージの山崎ウイスキー館に」

全体の発想から具体的な表現まで

はじめに


  「山崎ウイスキー館」を空間プロデユ−スしたということになるのですが、はたしてそれは具体的にどのような仕事をした、ということになるのでしょうか?
サントリーレベルでいうと、ウイスキーの新しい見方をテーマに、空間を創造し蒸溜所から発するメッセージ発信の仲立ちをしたと言えるかもしれません。
 またデザイナ−的な視点からいうと、絵画的手法でもって事を進め、建築と展示の一体化したイメージ空間を創り出そうと試みたと言えるかもしれません。
あるいはもっと簡単な言い方をすれば、「空気を創ろうとしただけ」なのではないかとも思えます。  いずれにせよ、「こんなイメージの山崎ウイスキー館に」という発想と表現の連続が「山崎ウイスキー館」の姿と形、働きに映し出されているように感じています。
 それがどのような発想から生まれ、どのような表現によって形となったかを記録しておくことは、「山崎ウイスキー館とはなにか」を明らかにしておくことでもあり、それなりの意味をもっているのではないかと思いました。
  制作の過程を通して実際に描いた絵やスケッチをもとに、「山崎ウイスキー館」の発想と制作の大きな流れをここに語りたいと思います。


中崎 宣弘


「山崎は、日本のウイスキーのふるさと」
山崎・白州蒸溜所修景計画

 「山崎ウイスキー館」のことを語るためにはその前に「山崎・白州蒸溜所 修景計画」と鳥井信吾さんのことを話しておく必要があると思います。
  わたしがサントリーのこの2つのウイスキー工場のPR計画に、外部のデザイナーとして参加することになったのは1995年からのことです。
  この年新たにウイスキー工場の生産担当になった鳥井信吾取締役による「工場のPRをコンセプトまでさかのぼって根本的に考え直し、そのための施設を整備してゆくためには、ウイスキーの素材というものの価値を理解し大原則をつかみうるような外からの視点と、長い目で工場を見守る永続的な見方が必要」との考えにもとづいて、そのためのデザインアドバイザーとしてわたしが招かれたのがはじまりでした。
  この時まず最初に「両蒸溜所はこうあってほしい」と理想的な蒸溜所のあり方を、風景デザインの視点から描いて鳥井信吾さんに御提案したのが「山崎・白州蒸溜所修景計画」でした。
  今回の「山崎ウイスキー館」もこの「山崎・白州蒸溜所 修景計画」の大きな考え方を基にし、これを源流にしていると言っても間違いではないので、まずこの修景計画の内容を簡単に説明したいと思います。
  まずわたしが始めたことは、山崎蒸溜所と白州蒸溜所という二つの蒸溜所の、それぞれの風土の特徴をわかりやすい言葉で表現し直すことでした。
  まず山崎蒸溜所は「日本のウイスキーのふるさと」と呼ぶことにしました。
  この蒸溜所は山崎峡という山紫水明で、実に「日本」らしい風土の中にあります。創設者鳥井信治郎はここで、舶来洋酒に負けない「日本のウイスキー」を作ろうとしたということです。
  山崎蒸溜所は「日本のウイスキー」発祥の地なのだということを背景に、ここの修景計画には日本の伝統的な感性を取り入れて風景を創ってゆくのが良いと思いました。
  また山崎には利休の作った有名な茶室『待庵』もあります。
  「茶はさびて、こころは熱くもてなせよ、道具は有り合いにせよ。」という利休の言葉は、そのまま山崎蒸溜所のもてなしの心得にも通 じるとしました。
  また一方の白州蒸溜所は、この蒸溜所の周りに広がる雄大な自然の森をテーマにし、白州蒸溜所のウイスキーはこのような森の中から生まれる、ということをイメージしてもらおうと考え「森の蒸溜所」と名付けることにしました。
  このように蒸溜所の風土を理解した上で、その風土の「おもむき」を読み取る。そしてその「おもむき」なるイメージを基に、蒸溜所の風景をどのように整えていったらよいかの方向を記したものが「山崎・白州蒸溜所 修景計画」です。
  これは鳥井信吾さんが「ウイスキーというものの本質が何かが解れば、自然に導き出される結論であり、これが 理想 。」として持っていたものであり、それをわたしがひとつ形あるものに進めた結果 ではないかと思っています。


「倉庫は倉庫らしく。」
貯蔵倉庫の内にゲストルーム

こうして「山崎・白州蒸溜所 修景計画」を基にした工場のPR活動に、アドバイザーとして参加することになったのですが、実際にこれを具現化しようとすると、なかなか大変であることが少しづつ解ってきました。
  というのも工場にはどうしてもそれまでの、PR施設というのはこうあるべきだという固定的な観念が抜けきれずにあって、それに対してひとつひとつ説明を加えながら、固定化した考え方そのもの(とわたしが思う)を「開けた」方向へと導いていかなければならなかったからです。
  その最初で、そして一番具体的な出来事が「貯蔵倉庫の内をゲストルームに改装する」という計画でした。
  すでに工場には進行中の案がありました。この案は「ゲストルームなのだから、シティホテルの明るさ、快適さをもったゲストルームらしくあるべき」をもとに、倉庫の中に新らしく天井を張り、壁を立てて、新たな部屋をたくさん作るといったような考え方で進められていました。
  見学客を迎えるゲストルームなのだから、失礼のないようにきれいで清潔なものにという考え方は基本的にはもっともなことだと思います。しかし本当の「もてなし」とはなにか?という考え方のところで少し方向が違うのではないか、とわたしは思ったのです。
  見学客は貯蔵庫という普段の生活では接することのない空間にやって来るのです。見学客にとっては倉庫の様子そのままが魅力的なのですから、わざわざどこにでもあるような部屋を作って迎えるより、倉庫という空間そのまま使った倉庫らしい空間の中で試飲してもらう方が良い。その方が蒸溜所の印象的な思い出を持ち帰ってもらえて、むしろ喜んでもらえるのではないかと思ったのです。
  「ゲストルームなのだからゲストルームらしく作る」ではなく、「倉庫なのだから倉庫らしさを生かす」というのがわたしの考え方でした。
  しかしこの考え方が最初からスムーズに工場に受け入れられたわけではありません。
  またわたし自身の考え方もこのように、はじめから明瞭な言葉になっていたわけでもなかったからです。
  手をこまねいている間にも、進行中の案は工事に入ってしまいました。
  倉庫の壁を削るドリルの音が聞こえてきます。
  明確な考え方がないまま工事が進行していることへの鳥井信吾さんの心配の様子も伝わってきます。 「どうすれば良いか」。突き動かされるように工事の現場に行きました。
  すでに一日の工事を終えた暗い現場には、床を解体した後の瓦礫が積もり、取り外された大きな扉は白い埃をかぶって、淋しく打ち捨てられていました。
  3本の太い柱で支えられた高い天井。むき出しのコンクリートの壁に囲まれた、暗く、ガランとした空間。なんにもないんだけれど、そこに他にはない面 白さがある。
  意味もないまま、あちらに立ち、こちらに立ちスケッチを描き続けていると、これは不思議な経験ですが、この静かな空間の中で、この空間が言いたいことが次第にわかってくるように思えました。わたしになにか伝えようとしている。
  そして具体的に、次になにをどのように進めたらよいかも、目の前に見えてくるように思えました。
  とにかく工事をストップしてもらう。
  ゆっくりと落ち着いて、考え方とイメージをまとめる。それを言葉と絵の形にする。
  それらを持って建築家を訪ね、アイデアを話しながら図面の形に置き換える。この間が3日。
  そして会議を設定してもらい、用意した資料を使い「なぜ工事をストップしたか。どんな案に変更したいのか」の説明を重ねる。
  この時、何回会議が持たれたかはすでに記憶にないですが、これら一連の作業の経験は「山崎ウイスキー館」計画を含む、その後のさまざまなプロジェクトにも全て生かされたと今は思っています。   最初に、鳥井信吾さんの心配(それは『いわゆるPR』が作りだす快適空間のために、ウイスキーが本来もっているはずの素材の良さがこわされるという心配)があった。それがわたしの行動をうながす原動力のスイッチになったことは確かです。
  そして「想い」は、とにかく形に置き換えること。そして語ってゆくこと。
  これは「山崎ウイスキー館」にもそのままつながることになった、基本的な計画の進め方です。   語るとは自分の思う基本的な考え方を提示し、それをもとに話し合うということ。
  もともと貯蔵庫であった空間を改装するのだから、倉庫のもつ特徴的な空間性をそのままに活かした形で改装するべきではないか。では、活かすべき倉庫空間の特徴とはなにか?
  それは、空間が細かい仕切りによって区別されていないこと。
  大きな扉によって区切られていた内と外の空間さえも、扉を開け放った瞬間に一体化する。外の道路の石畳はそのまま倉庫の中まで続いている。それが倉庫空間というもの。
  このような倉庫の特徴を活かした空間に来客の人々を招くことによって、蒸溜所らしい広々とした、おおらかさを感じてもらえたとしたら、それこそがウイスキーをテーマとした本当の空間作りということになるのではないか。
  こうして初めての経験にいろいろとぶつかりながらも、新しいゲストルーム(わたしは「テイスティングホール」と呼んでいますが、)は1996年秋、無事完成しました。
  「倉庫は倉庫らしく」をテーマに、外の敷石がそのまま内まで連続して入るようにし、壁、天井、柱も一切化粧らしい化粧はせず白い塗装だけをかけ、あとはそのままの状態に残しました。
  そしてあの打ち捨てられていた大きな扉は樽材で作り直し、もとにあった所に戻しました。
  コンクリートに囲まれたガランとした倉庫の空間でありながら、ここはテイステイングホールなのだ、という「厳かさ」が生まれるようにしたいと考え、樽材で作られた長テーブルとベンチが整然と並ぶように配しました。
  周囲の壁には昔の工場の写真を掛け、空間全体がウイスキーらしい柔らかい光によって満たされるようにしました。
 こうして「そのまま残す」、「あるものを生かす」をテーマにした「山崎蒸溜所 修景計画」イメージが、そのままひとつ形になったのでした。



「山崎館、先にありき。」
「山崎館」活用のシナリオ


 「山崎蒸溜所 修景計画」イメージによる第一号の作品はこのように無事誕生しましたが、次の問題はあとに残された古い「山崎館(旧ゲストルーム)」という建物をどうするかでした。
  「山崎館」。それは山崎蒸溜所創建当初から唯一残る建物です。
  山崎蒸溜所では、工場見学が終わった後、見学の人たちにウイスキーを試飲していただくことがコースになっていて、そのためのゲストルームが設けてあります。これまでその役目を果 たしていたのが「山崎館」でした。
  落ち着いた雰囲気があり、ゲストルームとしては最適の建物だったのですが、残念ながら阪神大震災で傷みが目立つようになり、これ以上使用していると危険な状態であると判断されていました。  ゲストルームの機能は貯蔵庫に移したのですが、問題はあとに残されたこの「山崎館」の建物をどうするかということでした。
  鳥井信吾さんからは、この建物は大正12年の唯一の面影を残すものなので、うまく工夫して是非とも保存して残してほしい、と言われていました。
  「この建物は、大正末期から昭和初期の工場の建物・倉庫として典型的なもので、その時代を代表している。町中にある大正・昭和初期の装飾的な建築物と比較しても、十分保存に値するものであると思われる。」とは、この建物を調査したヨーロッパ建築史の鈴木博之先生(東大教授)の意見です。
  しかし「ただ保存して残す」というだけでは、建物として生かされているとは言えないのではないか。
  ここは一つ「こうすれば『山崎館』を生かし、活用することができる。」という案(シナリオ)を、まずわたしが作り上げて、保存の積極的な方法を示す必要があると思いました。
  「山崎蒸溜所にウイスキー博物館のようなものを作る」という計画は、以前から何度かあったと聞いています。  キルン(乾燥塔)を復元したような特殊な形のものから、空港のビルのように大きくて近代的な形のものまで、今思うとそれぞれの形が不思議にその時代の世相を反映しています。
  しかしどの案をとっても、皆「山崎館」を壊した上で新たに作り直す、という発想であることに変わりがなく、「山崎館」を保存し、改装した上で有効に使おうという発想は今までにはなかったのです。
  今回の「山崎ウイスキー館」の計画がそれ以前の案と、もっとも違っている点は、このように「何か新しい山崎のモニュメントを作ってやろう」という発想でなかった点にあると思っています。
  「山崎館」は、昔の工場の建物らしい三角屋根に白壁。隣の社員食堂の建物とくっついて正面 から見ると、瓦の三角屋根が四つジグザグに繋がっているような形をしています。
  部分的に赤レンガが壁面に使われ、窓にはよろい戸が付いて、工場の施設といいながらもどこか建てられた当時のハイカラな雰囲気が漂ってくるようです。
  この建物の昔の様子を知りたいと思い資料を探すと、創立当時の山崎工場全体を細かく描いた絵があり、そこにこの三角屋根の「山崎館」の建物が、今とほとんど変わらない姿で描かれてありました。
  周囲の工場の施設は、おそらくはほとんど新しく建て替えられたのでしょうが(煙突はひょっとすると同じかも知れませんが)、残っているのはこの「山崎館」だけのようでした。その当時のほのぼのとした雰囲気がその絵からは伝わってきます。
  「日本のウイスキーのふるさと」というメッセージを山崎蒸溜所から発するには、この「山崎館」の建物を残し、建物自体が「日本のウイスキーのふるさと」を語るというようにするのがもっとも良い方法であり、今がまさにその絶好の機会であると思いました。  この考え方を軸に、建物を保存することの意味や、この建物が山崎峡という周囲の環境とどのように調和していくのが良いか、さらにどのようにこの建物を機能させていけば良いかの具体的な方法、などを10枚のアイデアスケッチにまとめて、鳥井信吾さんに送ったのが1997年8月7日のことです。
  これがわたしにとっての「山崎ウイスキー館」を発想した最初の日となりました。




「明治の青雲の志」
鳥井信治郎 記念館

最初のアイデアスケッチの中では「山崎館」は「鳥井信治郎 記念館」と言うタイトルになっています。鳥井信治郎の青春像を「山崎館」と結びつけて、山崎蒸溜所からのメッセージにしてはどうかと思ったのです。
  サントリーの創設者鳥井信治郎のことは、創立70周年の社史『やってみなはれ』の中で山口瞳が書いたものが詳しく、新鮮な気持ちを与えてくれます。
  この中で山口瞳は、鳥井信治郎翁を自分の父親と想い重ねるようにして書き、信治郎にも、自分の父親にも、あるいはこの頃を生きた人々に共通 に見い出せられるであろう精神を「明治の青雲の志」と呼んでいます。
  この「明治の青雲の志」という言葉にわたしは心を惹かれました。そこには爽やかなイメージがあったからです。
  「山崎館」の内容を「鳥井信治郎 記念館」として、主にこの「明治の青雲の志」を描き、この精神を伝えるようにしてはどうかと思ったのはそのためです。
  ウイスキーという名前すら日本ではほとんど知られていない時代に、信治郎を国産ウイスキーという未知の世界へ向かわせたのも、この時代の皆んなが共通 に持っていた「明治の青雲の志」なのだろうと思います。
  「断じて、舶来を要せず」という初のウイスキー発売時のコピーにも、この心意気が溢れています。
  現代の日本に忘れられつつあるのも、この誇り高い精神ではないかと思うのです。
  「山崎館」の静かな空間に置かれた、「寿屋」の看板、初のウイスキーボトル、山崎工場の写 真から、訪れる人びとの心に「明治の青雲の志」が想い起こされればと思いました。
  このようなわたしからの案をベースに、「山崎ウイスキー館」計画はスタートすることになりました。


「空間は心に何を与えるか?」
「山崎館」と「ウイスキー館」の基本設計

 「山崎ウイスキー館」のイメージは、「山崎蒸溜所 修景計画」や鳥井信治郎のイメージをベースにしながら、少しづつ具体的な形になってゆきました。
  「『ウイスキー館』の、この部分の色や形は、このようにする」というような具体的なデザインがその後一つずつ決定してゆけたのも、まず最初にこのような大きなイメージとストーリーがあったからです。
  具体的なデザインの最初の作業は、建物の外観、建築の基本設計をどうするかでした。
  まず正面から見て白壁と三角屋根が四つジグザグに繋がっているような、この旧山崎工場の「工場らしい風情」はそのまま残すことが、なにより大切だと考えました。「日本のウイスキーのふるさと」を語るためです。
  そこで新しく建て替える「山崎館」に隣接した木造の建物も、外観イメージはもとの三角屋根をそのまま残し、「山崎館」と一緒になって全体で、かつての「山崎工場の風情」を醸し出すようにする。
  正面南側のたたずまいは、昔の工場の風景がそのままあるように。しかし北側にまわると建物の様子は一変し、壁全面 がガラス張りの、きわめて現代的でシャープな表情が現れるようにしようと考えました。
  古さと新しさを、合わせ持たしたいと考えたのです。
  またガラスの透明感によって、外に向かって開けた、内から見ると周囲の建物、山、緑と内部とが一体化した空間が作り出せると考えたのです。これは伝統的な和風建築の感覚ではないかと思っています。
  そして建築を進めていく上では、これらの建物や部屋に名前を付けることも大切なことのひとつです。
  「山崎館」と共に、新しく建て替える方の建物を「ウイスキー館」と呼ぶことにしました。「山崎館」と「ウイスキー館」がひとつになって、「山崎ウイスキー館」となるわけです。これがその後、正式な名称となりました。
  さて、次はこの「山崎ウイスキー館」の内部の空間を、どのようなイメージの「空間」にするかを考えます。
  まず保存されるべき「山崎館」の空間からの感じられる「おもむき」とはなにか?
  わたしは「懐かしい」という気持ちではないかと思いました。歴史的な洋館に入った時に感じる、あのツンと香る「ふと懐かしい」ような気持ち。これが「おもむき」の方向だと思いました。
  正面入り口から、「山崎館」のドアを開けて入った瞬間に訪れる静けさ。
  エントランスを囲む、回り廊下。建物二階へとゆっくりと続く荘重な階段。
  時間が止まったかのように感じられる、一階の吹き抜け空間。
  目の前に現れる「山崎館」二階の、奥へと続いたほの暗い部屋の雰囲気。
  見上げる小屋組みと天井の柱や梁。その上に流れる闇の世界。
  窓からふわりと入ってくる日のひかり。しんとした周囲の建物と木立の深い緑。
  昔の工場にふと迷い込んでしまったかのような錯覚。
  訪れる人、全てに「懐かしい思い」を感じてもらえるような風景にすること。それが「山崎館」を活かす空間創りだと思いました。
  「懐かしい」とは記憶の混成。
  一見均一な色の中にも時おり見られる、複雑で微妙な色調の変化。「懐かしさ」とは色の「深さ」によって作られるのではないか。
  たとえばどうしても古くなって取り替えなければならない梁があって、それをどうするか?といった問題。新しく取り替えた部分はそこだけが白い顔をしています。それで全体にうっすらと木色をかける。これによって全体のトーンは低く押さえられたままで、そこに「新しさ」と「古さ」とが自然に馴染んだモザイクパターンが作り出せる。
  エージングとは、自然の中でこのような複雑な色の混成が増して、深まっていったということではないかと思います。
  まさに熟成中のウイスキーの内部で醸し出されている「味と香りの深まり」も、これに共通 しているのではないでしょうか。
  「山崎館」のために選び出した深みのある色調を「山崎館色」と名付け、「ウイスキー館」のために選んだ明るさを持った色調は「ウイスキー館色」としました。この二つの色は、その後「山崎館」、「ウイスキー館」に置くベンチや樽材家具などの、全ての基本色となりました。
  「山崎館」の「懐かしさ」に対し、一方の新しく建て替える「ウイスキー館」の内部はどのような空間にするか。
  わたしは「山崎館」とは対照的に「明るい未来」が感じられるような空間にしたいと思いました。  「山崎館」を通って「ウイスキー館」に入ってきた時に、気持ちがぱっと明るくなるような空間。周りの工場の建物が間近に迫り、しかしその間から山並が見通 せて心が遊ぶような空間。  「山崎館」が暗くて静かで、思い出の世界に帰るような場であるなら、「ウイスキー館」は柔らかい明るさの中で、こころが外に広がるような場にしたいと思いました。
  二つの空間は対峙しながらも、人は両方を自由に行き来できる。そして意識の中で、二つがひとつになって「山崎ウイスキー館」という小世界が構成されるように。そのように考えたのでした。    世界は「陰」と「陽」のふたつによって織りなされる。これは東洋的な世界観です。

 


「風景を創ろう」
連続するイメージスケッチ

 わたしは建築家ではないので、このような空間のイメージを、図面 にする前に自分なりの方法を使って伝えなければならないと思いました。そのために考えたことの一つが、「連続するイメージスケッチ」という方法です。
建物に向かって庭を歩きはじめ、次にその建物に入り、ゆっくり部屋の中を歩いてゆくとする。するとそれにつれて目に映る風景もゆっくり変化してゆきます。印象風景も次々と展開されてゆきます。  これを頭に想い浮かべながら、どこにもない風景を連続させて描いてゆく。これがわたしの言う「連続するイメージスケッチ」です。
  「風景を写す」のではなく、逆に連続した「風景を創ろう」とする。
  これをもとに空間を設計してゆこうと思うのです。
  このことについては「風景学入門」(中村良夫 著)から大いにヒントを得ました。
  中村良夫先生によると、イギリスのあの穏やかな田園の風景もはじめからそこにあった風景ではなく、画家が描いた想像の風景画がもとになって作られたというのです。
  産業革命によって破壊され、なくなってしまった田園を目の前に、こんな風景があったらよいのにと画家が想いをふくらませて描いた想像の風景画。実際の風景を写 したものとばかり思っていた風景画ですが、実はこの仮想の風景画がもとになって森や丘が作られていき、あのように美しい田園が蘇えったというのです。夢、先にありき、だったのです。
  わたしもこれを試みてみようと思いました。
  実際に、絵は雰囲気をよく伝えてくれます。  絵は文字で伝える何十倍もの情報を含んでいると言います。また、それを一瞬にして伝えることもできます。
  イメージを全員に共有してもらえる、ということでも絵は効果 的です。  サントリーに提案し了解を得た絵を使って、次に実行にあたる専門の業者に施工の指示を与える。進行の途中でよくありがちな曲解や誤解がなかったのも、この絵画的方法のお蔭かもしれません。
  絵を描き、模型を作る。この段階で空間を作る作業の半分は終わったように感じました。  ただ、ここが重要なのですが、細かい点まで最初から決めてしまわないように気を配りました。できるだけ大きな筋道から決めていって、あとは自由にしておく。そして徐々に細かいディテールへと進めてゆく。
  基本のイメージさえ作っておけば、建物が建ち上がってゆくにつれ、自然に次から次へと次のイメージが目の前に浮かんできてくれるに違いない。扉は次つぎ開かれてゆくはず。そう思いました。  そして実際そのようになってゆきました。

   


「語ることのできる『山崎ウイスキー館』に。」
「樽材」を使った内装イメージ

床や壁面、階段、展示什器など、建物の木の部分には出来るだけウイスキーゆかりの「樽材」を使い、「樽材」の持つ風合いで「山崎ウイスキー館」を統一しました。
  「樽材」とは使い終わったウイスキー樽の材のこと。ばらばらにされた樽が一本一本の板の状態になったものです。
  樽は、オーク(みずなら)の木材のみから作られます。
  樽というのは、ウイスキーを詰めて運ぶために便利なコンテナ容器であるだけではなく、ウイスキーという中味をつくるために重要な働きをします。
  蒸溜器から出たばかりのウイスキーは、まだ無色透明の蒸溜酒です。これを樽に入れ何年も寝かせることによって樽の成分が滲み出されて、あの独特のまろやかな味わいと美しい色合いが作られるのです。樽がないとウイスキーは生まれないとも言えます。
  ウイスキー作りの役目を終えた「樽材」を、捨てずにさらにウイスキー工場の施設のための建材として使うということは、「あるものを生かす」という蒸溜所全体に共通 する精神にもつながり、資源の再利用としても良いことだと思いました。
  ただこの「樽材」の表面をどこまで加工して使うか、ということは大きなテーマが含まれているように思います。
  樽はウイスキーを入れて何年も寝かされ、その間何度も転がされるので、表面 は古びて傷つき、黒く錆びて、釘の跡もウイスキーのしみも残っています。このような表面 の傷をどこまで残して「樽材」として使うか。
  完全に削って、樽になる前の木材の状態にすることもできます。
  おまけに上に塗装してしまえば、もう樽材であったかどうかすら分からなくなるでしょう。でも本当にそれがいいのかどうか?
  考え方の違いはあるでしょうが、わたしは「山崎館」の生かし方と同じように、時間や歴史を樽が語ってくれる、というような使い方をすることが、「樽材」を生かすことではないかと思いました。  人が歳をとるというのは、決して古びてゆくということではなくて、様ざまな経験を経てその人なりの風格が作られてゆくということなのだと思います。「樽材」も同じではないかと思うのです。「山崎ウイスキー館」の建物や、家具には「樽材」を使って、ウイスキーがウイスキーに成るために必要とした長い時の流れを語ってもらいたい。
  錆や釘跡の残った「樽材」をあえて使うようにしたのは、そのような考えによります。
  「山崎館」、「ウイスキー館」にまたがる広い床全面にも、「樽材」フローリングを貼ります。  これは樽の内側の黒く焦げたものを、あえて組み合わせたモザイクパターンの「樽材」フローリングです。
  訪れた人びとに活気を感じさせる。そして「樽材」とはなにかを語れる床になったと思います。   トイレも大切な「もてなし」の一つと考え、思い切って壁面 全体に「樽材」を使い、琥珀色で明るく落ち着いた、日本的な感覚を持ったトイレの空間を創ることにしました。
  こうして「樽材」は資源の再利用という、企業の環境への姿勢をアピールしただけでなく、それが生まれながらにして持つ風格、美しさを存分に建築に発揮してくれたと思っています。そして、なによりウイスキーを語る「語り手」として役立ってくれたのです。



「果てしなく並ぶ書架、が作り出す風景。」
ウイスキーライブラリーの発想

 図書館はわたしにとっては魅力的なところです。
  毎日曜日には近くの図書館へ行くだけでなく、外国への旅に出ると必ずその町の図書館を訪ねるということが習慣になっています。
  特にヨーロッパやアメリカの図書館には、見上げるばかりの空間の大きさ、壮厳さ、神聖さがあり、人々の熱心な勉強への姿勢も感じられ、訪れるたびに圧倒されます。それだけでなく、このような図書館の凄さは、果 てしなく並ぶ書架に膨大な数の本が並ぶ光景でもあります。
  長い年月にわたる人類の探究と創作による「知の集積」が、そのまま荘大なスケールの空間と量 の形となって見る者を圧倒するのだろうと思います。
  たとえば研究所のようなところにも、このような量感ある風景が平然と当たり前のようにあって、たまたま見てびっくりするというようなことがあります。
  もちろんこのような風景は、驚かせるために作った風景ではなく、「実用」のため結果 的に出来た風景です。わたしはこのなにげない「実用」が作り出した風景にスポットを当ててみたいと思いました。
 また別な言い方をすると、いろんな物がいっぱいあるというのは見ているだけで楽しいものです。  特に市場などの魅力はそこにあります。いろんな種類の魚がいっぱい並べられた魚市場。野菜や果 物や花、ハムやソーセージ、チーズが通路にまで溢れ出たようなマーケットの風景。それは見ているだけでも十分楽しいものです。
  山崎蒸溜所もウイスキーを作り出す「現場」なのだ、というところに焦点を絞り、その点を見てもらいたいとするならばウイスキーがそれこそ溢れるほどある風景があってもよいのではないかと思いました。いや実際に樽の中には、何万とウイスキーがあるのですが、あるというだけで見ることはできない。  知ってもらうだけでなく、見てもらいたいと思うのです。
  図書館の長い書架のように、ウイスキーがあきれるほど並ぶ風景。
  研究所や市場のように、いろんなボトルが果てしなく並ぶ風景。このような「作りの現場」にだけ見られる印象的な風景を、「山崎ウイスキー館」の中に作り出したい。それがわたしの発想でした。  計画の途中段階で鳥井信吾さんより、「ウイスキー館」を「ニセニノ」である展示物をならべるのではなく、なるべく現実に生きた、そして実際に機能するようなものに仕上げてほしい(たとえば工房や研究所のような)、という要望が出た時も、また鳥井信一郎社長や佐治信忠副社長から世界中どこにもないような「ウイスキー専門のバー」を作ってほしいと言う要望があったと聞いた時も、このような何千本ものウイスキーがえんえんと並ぶ風景のアイデアなら、この両方の要望を包み込むだけの大きさを持っていると思いました。
  ウイスキーは全て同じ形のボトルで保管することにしました。さらにそのボトルは、研究所で実際に使うサンプル瓶をイメージしデザインしたものです。
  「作りの現場らしい」雰囲気を感じてもらうため。
  そして「実用」だけに使われる飾り気のないボトルに入れることによって、ウイスキー本来の、まろやかで美しい色やボリュ−ム感が、素直にそのまま出せる。
  また「ウイスキーライブラリー」の中では、全てのウイスキーは、自社、他社のいかんにかかわらず、図書館の本のように皆横一線で、分け隔てなく平等であってほしいと思ったからです。      ラベルも単純明快、蒸溜所の名前、生産地や年数など、ウイスキーの戸籍にあたるものをタイプしただけのなものにします。
  「世界のウイスキー」2000種類を置きたいと想った「ウイスキーライブラリー」も結果 的には200種類とその種類は大幅に少なくなってしまいましたが、山崎原酒などの発想も加わり、「作りの現場」ならでは風景が誕生したと思っています。