「弁天さま」をデザインしたと言っても、それがどういう意味か解ってくれる人はほとんどいないだろうと思う。「弁天さま」とはまずなにかがよく分らないし、なんとなく仏像らしいものだと分ったとしても、それをデザインするとはどういうことか理解のしようがない。仏像というのは仏師か彫刻の専門家が作るものと思っているし、僕もそう思っていた。しかし結果的には僕の手で作った「弁天さま」が魂を吹き込まれ、町並みの一角に設置されることになったのである。「弁天さま」すなわち弁財天とは大黒天や恵比須神とならぶ七福神のひとつ。唯一紅一点の神様。もともと「水の神様」である。海際や水源地にお宮があったとしたら多くは弁財天が祀ってあるのではないだろうか。日本では江ノ島弁天、竹生島弁天、天川弁天、厳島弁天が有名で、富士山にも富士山弁天があるらしい。もともとインドの女神「サラスバティ」から来ているということで、琵琶を弾きながら意外と艶かしいところもある民衆の神様だ。「水都・大阪」再生計画のひとつとして、計画の舞台となる堂島北新地「堂島薬師堂」に、有名な大阪法善寺「水掛け地蔵」のような名所を作ろうという話が持ち上がり、さらに「水に感謝する」の意味がよりはっきりするようこちらは弁財天でということになった。「水掛け弁天さま」の登場である。春の堂島の新しい祭り起こし『お水汲み祭り』のタイミングと合わせたいということもあり、祭りの「竹筒護符」や「ハッピ」「のぼり旗」のデザインに続いて僕が粘土で形を作り、それを型に取って高岡のメーカーでブロンズにしてもらうことになった。
まずイメージが必要だった。僕の描いたイメージは「インドの神様」であるということと、そこから来る哲学的な表情と、そして「水の化身」であるということだった。フォルムは水が流れるように、すらっとしてスマートな形にしたい。しかし粘土制作に不馴れな僕の技量では、細部まできれいに整った弁財天像を作ることははじめから無理とわかっていたので素朴でも真摯なイメージの「弁天さま」に。そのようなイメージの目標となるものはないだろうか?いろんな仏像を見ながら探していると奈良「薬師寺」の出陳図録の中に思うところのイメージがふたつ見つかった。「誕生仏像」(鎌倉時代)と「奏楽飛天」(奈良時代)である。どちらもザクザクと錆びたような鋳物風でその素朴な肌合いが美しかった。形もひなびていてこれなら目標としてやっていけそうな雰囲気だった。「誕生仏像」にはユーモアがあり「奏楽飛天」には軽やかさがあった。薬師寺東塔のてっぺんにそびえている東塔水煙(国宝)の彫り物のひとつで風にたなびくように天女が笛を吹いている姿が「奏楽飛天」。これに土塊から生まれたような「誕生仏像」の素朴さが合わさったようなイメージがよさそうだ。それを頭に描きながらまず手始めに15センチぐらいのものを作った。これでだいたいの感覚をつかんだ上で倍の30センチの大きさに挑戦する。高さが2倍になれば体積はその3乗で8倍になる。粘土も8倍必要になるのでずいぶんと重いものになる。最初は簡単な芯だけでよかったものが大きくなるにつれてそれを支えるだけのしっかりとした骨組みが必要となった。手にひんやりと冷たい粘土の感触を感じながら、僕は旅した世界で出会ったいろんな祈りのある「まちなみ」を思い出していた。 チベットの山あいの村では人々がお堂のわきを通るたびに、皆マニ車というものを回して歩み去っていく。音を立ててこの大きなコマのような車がはずみで回っている間は、お経を唱えなくても同じ功徳があるというものだった。細い山道を歩いたり手仕事で忙しく、ゆっくり手を合わすことのできない山の民への優しい配慮であろうか。中米グアテマラ、チチカステナンゴの町では、教会建物につづく広い石段全体が香の煙で真っ白に煙って、独特の風景を作っていた。石段に沿って並ぶ露店商の声に混じって、鐘の音が休むことなく町中に鳴り響いていた。インドネシアのバリ島の町では深く濃い緑の下いたるところに原始神の石像が顔を覗かせていた。宙を睨んだりうずくまったり、黒く苔むしたどの石像の前にも色鮮やかな花がそっと添えられてあった。イスラムの町では日に何度もコーランを唱える声がモスクの高い塔から風にのって町に流れていた。イスラム教に偶像はないが、町のあちらこちらには大地にひざまずいて祈る人々の姿が見られた。お参りしている人の姿、鐘の音、花や香の香りなど地球上にはどの町に行っても共通に見られるひとつの祈りの風景がある。またその土地特有の生活風景も作り出している。僕の作る「弁天さま」ははたして祈りのある「まちなみ」を作ってくれるのだろうか。人々の願いを本当にかなえてくれるのだろうか。 形が出来たところで「堂島薬師堂」の本山である『薬師寺』のお坊さんの意見を聞いてみることになった。実は僕の本当の「弁天さま」作りはここから始まったと言ってよかった。意見としては形が鋭すぎるのではないかということであった。もっとふくよかさが欲しい。拝んだ人に福が来るように。女の神様らしいふっくらとした感じ。僕のイメージはもともと水であり清らかさであって、インドの修行僧のような厳しさでもあった。その点ではこのようなシャープで、水が流れるようなすらっとしてスマートなフォルムで良かったのかもしれない。しかしこれは彫刻作品ではなく仏像であった。そして「弁天さま」だった。なんとか受け入れるような方向にもっていきたい。しかしこの「ふくよかさ」と「清らかさやシャープさ」という一見対立するように思える概念を、僕はいったいどのように自分の中で受け入れ再構築していけばよいのだろう。もう一度ゆっくりはじめから仏像をながめる必要があった。縄文の頃からひとが祈る偶像とはいったいどのような形をしているのか。再度、遠くから概観し直す必要があった。 仏像とは拝む人のこころを映し出すものである。仏師のこころを写すのではなく、拝むひとそれぞれのこころを映し出す鏡のようなものと言えるのかもしれない。そして縄文から現在までいかに形が整っていようといまいと全てに共通するある典型があるように思えるのだった。目もと、口元、頬から肩の線。どの偶像を見てもそこに典型的なひとつの面がある。衣をまとっていたとしても、上から下からどの角度から眺めたとしても、まるーい球体をたどるように永遠に変わることのない曲面がどこまでも果てしなく続いている感じ。それはどんな仏像にもかならずあって、それが祈りの気持ちを受け入られる円やかな鏡のようになっているようなのだ。丸みをもってゆったりと広がる水の表面のように。そして、その連続性。さらに「弁天さま」には、「弁才天」と書くものと「弁財天」と書くものがあるという。僕のイメージはたしかに「才」であり、音楽の才能、芸能の神様にはちがいなかったが「弁財天」の「財」の方の神様ではなかった。福や豊かさを受け入れようとはしていなかった。お参りに来るひとの願いは歌や芸能の才能だけではない。千客万歳、商売繁盛である場合も多い。「才」と「財」、ふたつを合わせ持った「弁才(財)天さま」が今求められているのだと思った。これは発見であった。この新たな方向を見つめながら、また手探りで「弁天さま」に肉を付けていった。肉を付けずに一から作る方が早いのではないかとさえ何度も思った。しかしこのように考えた。日々理想の演奏を求め修行を続けていた才人が、ある日ある時音を奏でる本来の楽しさは人を楽しませることに他ならないと気付いて、思わずふっと笑みがもれたような表情。その表情を作るためには一から作るのではなく過程としてあえて鋭さの表現の上に微笑みを付け、円やかさを足していく方がふさわしいにちがいないと。粘土で少しづつ少しづつ表情にふくよかさと笑みを付けていき、そういうわけで出来上がった「弁天さま」は少し上を向いているような形になった。
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