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世界のあちこちの都市を旅しても必ずと言っていいほどその町の代表的な大学を訪ねるようにしてきた。図書館に入り壁一面天まで届くほどの本の量にア然としてみたり、講議室のドア越しにそっと授業風景を眺めて見たり、広い芝生に寝転がってみたり、カフェで学生と一緒に昼御飯を食べてみたり、ショップで大学オリジナルのトレーナーをみやげに買ってみたり。ロンドンの大学のパブでは、昼間から先生達と一緒になって黒ビールのジョッキを傾けたし、アイルランドの大学町のパブでは大きなテーブルを囲んで学生達と先生が美術論に花を咲かせている風景を垣間見た。このような何気ない雰囲気の中から豊かな土壌が作り出されているんだろうと思ったりした。 ハワイの大学では、学生ボランティアの案内でキャンパス内の様々な変わった植物を見学して歩けるツアーを見かけた。どこまでも続く青い芝生、その上にTシャツの学生が円座になって楽しそうに語り合っている風景は、もっとも大学らしさが感じられる世界のどの大学に行っても見られる共通の美しい風景だと僕は思っている。ボストンのMIT:マサチューセッツ工科大学では、大学町の地下鉄駅がユニークだ。プラットホームの壁に取り付けてある取っ手を左右に揺らすと、どういう仕組みかそれにつれてホームの天井から何本も並んで下げられた金属の柱が左右に揺れ始める。取っ手が強く揺らされるにつれて、大きな振動になった金属の柱が、互いにぶつかってボーンボーンと柔らかい音をたてはじめる。これが地下鉄のドームという共鳴箱の中で優しく響いて心地よい。きっとMIT大学の学生の発想によるパブリック・アートなのだろうと思う。お父さんが取っ手を揺らし、子供がきゃっきゃっと喜ぶ声とシーンが一緒になって印象に残っている。 自然科学系の博物館があるのも僕が大学町を訪れるきっかけとなっている。そのような「大学博物館」で一番印象に残っているのはイギリスのオックスフォード大学の中にある大学の博物館だった。ともかくその豪壮な造りに驚かされる。高い天井からはクジラの大きなはく製やエスキモーのボートなどがつり下げられ、アフリカの動物からヒトデやウニの標本、石オノなど無数の展示物が足の踏み場もないほど雑然と空間をうめている。その雑然さがよい。見せるための博物館というよりも倉庫のような感覚だ。 広い展示室を見渡すとところどころに古い標本箱があって、小さな取っ手をつまんで引き出しを開けると中には小さな石の矢じり、骨で作った釣り針、鳥の羽飾りなどがこれもまるで未整理のままコロコロ転がるように入っている。それぞれに小さな値札のような標本ラベルが糸で結びつけられている。それだけだ。 そのなにげなさと男っぽい豪快さが印象に残っている。飾り気のない感覚が逆に果 てしない未知への探検の夢を描いているように感じられた。 大学には自由があり、理想と探究心と若さと崇高さが一体となって織り合されるひとつの「まちなみ」が作られている。僕自身が非常勤講師として実際に大学で学生に教えることになった時にも、そんな自由で創造的な気分を出来るだけ作ってやりたいと思った。しかし残念ながら皆んなでひとつ輪になれる緑の芝生もなかったし、喧々と議論のできるパブもなかった。それでも校外に見学に出掛けたあと学生達を町のビアガーデンに引っぱって行って、まさに夕暮れ時の町を眺めながら深い蒼空の下でジョッキを掲げながら議論に花を咲かせた時は、あっ、ついに僕も世界と同じようにやっていると嬉しく思えたものだった。しかし普段の日本の学生達は皆学校に管理されているようで可哀想に感じることが多い。せっかく大学に入っても勉強しない学生が多いから、学校としても仕方なくそのような管理的な方法を取らざるを得ないのだろう。しかし知識を伝えたり学んだりという場にはまずなにより「学びの場」としての自由で、神聖なる空気作りが必要なのではないかと思う。自由で神聖なる空気が、学生自らの気持ちをピリッと正すのである。 そのような空気がもっとも象徴的に感じられるところが岡山の『閑谷(しずたに)学校』だ。今から350年も前に設立された学校で、備前藩主池田光政が庶民の育成ために起こした藩校と言われている。ここを訪れるとその風土からも見事にその志の高さや品格が感じられる。池田家の墓を立てる候補地としてこの地を訪れた光政が、静かなこの山合いの風景からむしろ学校設立の地としてふさわしいと発想したと伝えられているが、深い山の中にありながら目の前いっぱいに広がる圧倒的な開明性に、たしかに教育の場にふさわしいとした光政の直観性に大いに共感できるのである。明るい未来への開明性と、緑の中での安らぎというふたつの精神の両立する姿が、きっと学びの場の条件なのであろう。ぴかぴかにふき漆で磨き上げられた講堂の床に正座して座ると、講師の語る論語の一言一言が凛として講堂いっぱいに響き渡るのであった。 知識やこころを伝えるという「学びの場」には、たしかにひとつの共通した空気がある。アメリカ、ピッツバーグ大学の中にある“TheNationality Classrooms”を見て歩るくとさらにそれをよく理解することができる。ここには世界各国の教室(23ケ国)がモデルとなって実際に廊下に沿って次々と順番に並んでいる。各教室の鍵と案内のテープレコーダーを借りると、自由に教室の扉を開けてどの教室も見学して回ることができる。バロック、ビザンチン、ロマネスクなどの様式に加えて、ロシアの教室はロシアの教室らしく重厚な雰囲気があり、ノルウエ−の教室は森の国らしい明るい木の作りの席が並び、エジプトの教室は教室全体が石作りで、中国の教室には漢字文字が配されている。どの教室も実にその国柄が現れていて個性的だ。そして個性的ではあるけれど、全体に共通する清々とした学問の開明性、そして大きな樹の下で輪になって語り合うような安らぎの気持ちが一緒になって満たされている。これなのだと思う「学びの場」の空気とは。 アップルコンピューターなどカリフォルニアのシリコンバレーの誕生物語には、スタンフォード大学の教授や学生の存在が欠かせない。同じくカリフォルニアのU.C.バークレーも有名だ。学生総数3万人以上。ノーベル賞受賞者が15人を超える大学だ。バークレーは町全体が大学そのものである。明るい日ざしの中で学生達がカフェの外に椅子を出して本を読んでいる風景の一番よく似合う町でもある。映画『卒業」の舞台。サンフランシスコからバークレーの結婚式場に向って走らせる主人公ダスティー・ホフマンの車がベイブリッジのフリーウエイの途中で動かなくなり、車を置いて懸命に駆けていくシーンがある。普段一方通行になっている車の流れをその映画の撮影のためだけに逆行させたという話が残っている。このバークレー校の中にある博物館で恐竜展があるというので、子供と一緒にこのフリーウェイを通って訪ねたことがある。 広い研究施設のある敷地のさらに奥の山の頂き附近にこの博物館があるということで向ったが、道がよく分らない。途中で何度か迷って結局入り口に引き返し守衛室で道を尋ねることにする。「左を行って、右を曲がり・・」。年配の守衛が丁寧に教えてくれる。礼を言って再び車を走らせるが、途中でまたわからなくなってしまう。どうもまた道を間違えたようだった。仕方なくもう一度引き返し同じ守衛室で聞き直す。「左を行って、右を曲がり・・」とまたまた同じように教えてくれる。「よし、今度こそ大丈夫。ありがとう。」と思って山道を走るが不思議なことに、またおかしな道に入り込んでしまい行き着けない。このままではいつまでたっても博物館にたどり着けそうになかった。「また?」とあきれられるのを覚悟の上で、もう一度同じ守衛室へ引き返すことにする。このしつこさは日本ではなかなかできないものだが、アメリカの生活の中では自然と身につく心構えだ。子供が横にいたので教育的な意味もあってもう一度聞きに行こうということにしたのだろう。「分らないものは分らない」。「分らないものは何度聞いてもよいのだ」というように。 案の定あきれ顔の守衛がカウンターの下から出してくれたのが、研究施設の地図だった。大学には政府からの依頼で極秘に研究を進めている施設もあり、研究施設の位置は外来者には明かしてはいけないことになっていると言う。どこまで本当なのか解らないが「絶対秘密だよ」と口止めされた上で、となりに座る子供の手に渡してくれた線書きの簡単な地図がその後長い間彼の宝物となっていた。何年後のことになるか分らないが、再びこの地図を持って彼がこの大学を自分の「学びの場」として訪ねてくれる時があったとしたら面白いと思う。いろんな研究施設を上から眺めるバークレー校の「まちなみ」地図は、見方によれば夢の探検地図のようでもあった。 ![]() |