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僕自身も学校を卒業したすぐ後のスケッチ旅行のひとり旅で見つけたので、絵の好きな人であればきっと同じように感じるものがあるだろうと思ったのだった。しかし今もあるかどうかは分らない。 後日その人にまた会う機会があったので聞いてみると、探したけれどそんなバーは無かったと言う。やはり時代の中で消えていってしまったのかと寂しく思っていたら、元気にやっているという話も聞く。時おり寄る京都の『元禄』というバーのママなどは「きのう電話でマスターと話しましたえ」と言う。これはきっと彼の探し方が悪かったにちがいないと確信。この機会に自分で行って確かめてみることにする。もし実際に元気にやっていれば写真でも撮ってやっぱり探し方が悪かったんだと一言言ってやろうと思った。 だいたいの尾道の町の感じは覚えていたつもりだったが、駅を出ると右も左も分らない。駅ビルが新しくなっている上に、駅の前にはロータリーまで作られていて昔の記憶が全然通用しない。それでもわずかに覚えのある風情をたどりながら勘にまかせて海沿いの道を東方向に歩いて行く。暗い海の方からは温く湿ったような風が吹いてきて懐かしいような気持ちになる。僕は同じ瀬戸内の生まれなので、親父に連れられて夜の港を散歩したことを思い出す。ここはその町とちがい向いの島が近いのだろう、大きな黒い島影や海面に映る灯もすぐそこに見られた。 ようやくそれらしい酒場がたくさん並ぶ界隈に出たので、通りかかった人に『曉』のことを聞いてみる。『一口』という人気のある串カツ屋の横から細い路地を入ったすぐのところという。その串カツ屋と同様、尾道では観光名所としても有名な店であるらしかった。やはり健在だったのだ。 『舶来居酒屋 曉』は3階建ての木造作りの店だった。表にはほんのりとランプが点り、いろんな洋酒の看板が並びいかにも港町の雰囲気が漂っている。木箱のふたを打ち付けた黒い木の扉を開けて中に入ると店の中は想像したよりずっと広い。こんなに広い店だったかなあと思う。狭い通路に隙間なく古い写真が飾られ、部屋の中の壁といわず柱、天井まで古いボトルや水差しや灰皿がびっしり飾り付けられている。表面が見事に錆びついてしまってなにがなにやら分らないものもある。洋酒ボトルは全部で五千本もあるという。客は僕と同じように観光で来た人も多いのだろう。あたりをキョロキョロ見渡しては時おりパッパッとフラッシュを光らせている。現在のマスターは2代目。バーテンというよりガイドのような役割が身に付いてしまっている。あのマッチも今は使われていないらしく「そういえば、そんなマッチありましたねえ」と彼にとっても懐かしいもののようだった。 「千光寺の桜」といった尾道の名所がカクテルになっていているのが面白かった。 「舶来洋酒の時代」に旅したような感じにさせてくれる博物館的な店であった。
『ユウカリ』はかつての船員バーだったとのこと。『ユウカリ』という名前もオーストラリアからの船のイメージから付けたという。尾道が港町として栄えた頃、店は毎晩遅くまで船員達で賑わった。今のママが手伝いの頃は店に出て、朝掃除するのが楽しみだったという。座席の間にお金がたくさん落ちていたからだ。遠洋航海の船員にとって船は家のようなもの。海では遊ぶところがないだけ、岡に上がった時は稼いだ金をばらまくようにして飲む人が多かったという。バーにとっては景気の良かった頃の話である。尾道の近代史の一コマである。ママの話を聞きながら終始客は僕ひとりだけだったけれど尾道の町のかつての賑わいの様子や、町も店も移り変っていく様子がまるで映画のように回想された。店というのはインテリアも大事だけれど、やはり人だ。旅も人との出会い。「純洋酒スタンド」の言葉につられて入ってよかったと思った。
『ユウカリ』を後にして同じ裏通りの路地を歩くうちに、またまた雰囲気のよい一軒を見つける。町家のような作り、通りに面した二階はガラス戸で中は渡り廊下になっているらしかった。旅館のようでもある。名前は『村一番』。看板には「焼き鳥」とあった。格子戸の向こうで鶏を焼く香ばしい炭の火が見えるようで、思わず重い木の引き戸を開けて店に入ってしまう。旅館のような玄関座敷きの奥には小部屋があり、そのさらに奥にはガラス戸を通して暗い夜の庭が続いているように見えた。玄関土間の右手がカウンターになっていて煙が上がっている。どうやら家の造りは本物だった。旅館にしては、どこか華やかさがあった。カウンターで、鳥が焼けるのを待つ間に主人に家の造りについて聞いてみる。 建物は大正期の「置き屋」をそのまま残しているのだという。「興味があるのなら家内が中を案内しますよ」とのことなので、さっそくお願いすることにする。 「置き屋」と称される、どこか妖しげな雰囲気が漂う一階から二階まで、美しい奥さんのあとに従う。大正時代の幻想が漂う。とにかく凝った作り。欄間から柱まで良い材料を選んで使い、実に手が込んでいる。この家自体が工芸品のようであるという話を聞きながら、実はその当時にこの奥さんのような人もいたのかなあと、勝手な「置き屋」を想像しつつ時間を忘れて案内してもらって席に戻ると頼んでいた焼き鳥はすっかり冷えていた。奥さんの穏やかな言葉で語られる「尾道の大正時代」はまたひとつの旅の夢であった。 それにしても、同じ路地裏にあるこれらの店にはどうしてこんなにも「文化」の香りが残っているのだろう。そしてどれもこれもが、さり気なく、明るく、品がある。尾道という歴史のある町だから出来ることなのだろうか。案内に深く感謝しながら『村一番』を出る。
大正時代の幻想覚めやらぬまま路地裏を2、3軒歩いた左手に、これまた興味をそそられる看板を発見する。 何千とあるこの貝のコレクションはすべてこの店のマスターが自分で世界中から集めて来たものという。驚きである。毎年、時間の許す限りフィリピンに行き採って来るのだそうである。船が好きで、尾道の港にも自分の船が泊めてあるという。店が終ると夜の海に漕ぎ出すのだそうだ。蒐集した蓄音機も100台を超えるという。店を始めた話。フィリピンの話。世界の貝の話。尾道に来ているはずが、いつの間にか僕は南の島にいた。 港の尾道裏通りにはどこに入っても夢の冒険物語が見られるという不思議なまちなみがあった。
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