「まちなみ」を旅する。

2.「夢を生み出す開明性-- 京都三条通り」

               『まちなみ』2004年2月号 大阪建築士事務所協会発行 


 
なぜその時、その京都の不動産屋にふらりと入ってみる気になったかは、今思っても不思議な気がする。そこはビルの3階の奥まった小さな不動産屋だった。固い表情の年配の店主がひとりで電話の応対に追われていた。ようやくこちらに注意を向けてくれた時にも、とっさには返答に困った。こういう場合、広さや予算やなにかしらもっと具体的な用件から入るべきなのだろう。しかし僕はその代わりにこの通りの素晴らしさを話すことから始めるしかなかった。この通りが好きで、この通りで仕事をしたい。たまたま通りかかって看板を見て入った。この通りにある不動産屋ならば僕の思いを感じとってこれだというスペースを見せてくれるのではないか、そんな気がすると語った。だいたい僕が居場所を決める時はいつもこんな調子だ。旅の調子だ。
 しかしこの京都の「三条通り」のいったいどこにひかれたのかを自分で理解するには、さらにもう少し時間がかかった。

 それまでの6年間、仕事場は神戸にあった。港からつづく坂道の裏手にある商業ビルの一室だった。それまでも2度港町に移り住んできたので、きっと港町の明るい雰囲気が生来好きなのだろう。阪神大震災の時は、ビルがなんとか持ち耐えてくれたおかげでその後2年間は神戸で仕事をつづけることができた。
 2年の間に仕事場周辺には、新しいブティックやカフェが次々出来て、老舗のデパートも完全復活し、みな元気に立ち直っていった。しかしそれがとても表面的なように思えてしかたがなかった。とくに休日にはパチンコ店やゲームセンターから大きな雑音が町に溢れ、それを気にする様子もない若いカップルがショッピングバッグを下げて通りを行き来していた。町に活気が戻ったことは素晴らしいことだった。しかし町を歩いても以前のような港町としての風格は感じられなくなっていた。

 京都の「三条通り」を南に少し入ったところに有名な珈琲店の本店がある。神戸で仕事をしている間にも、この珈琲店には毎日のように来ていた。そこで朝の珈琲を飲みながら考えをまとめるというのが僕のやり方に合っていると思った。
 発想というものは自然に湧いてくるものだ。無理に得ようと思っても、なかなか得られるものではない。自分にできることといえば、そのような環境に身を置くだけのことである。ゆったりとしたおおらかな発想や表現がほしければ、自然とまずそのような空間に自分を持って行くことである。時には電車の中でもいいし、公園のベンチもいい。いつもノートを片手に、生まれたばかりの構想を書きとめるようにする。自分に合った創作環境は、自分の方法で見つけるしかないのだと思う。

 この珈琲店は、まず店先からして広くおおらかだ。表は格子戸の昔風の商家の構えだが、中は思った以上に大きい。昔はこの入り口の土間に、珈琲の袋が山のように積まれていたのではないかと想像する。僕はいつもここから左手に熱帯風の回廊を通って、庭へとむかう。画家でもあった創業者が自分で、焼き色の調子を見ながら積んだという煉瓦の壁。カゴの中のオウムが時おりけたたましく鳴く音。白いコロニアル風の別棟とサンルームのあいだの中庭には、洗いさらしのきれいなクロスの掛かったテーブルが並べられ、木漏れびが爽やかな影を落としている。この席に座って木々の間から上にながめる朝の空が美しい。異国の香りと開放的な空気がこの空間には満ちている。創業者の夢がいたるところにちりばめてある。
芸術的な発想は、芸術的な空間から伝わると思う。

 この珈琲店に何年もかよう中で、このハイカラ性や外へと向う開明性はこの店だけでなくほど近い「三条通り」周辺全体の性格と共鳴していることに気付きはじめた。この「三条通り」には明治、大正期に建てられたレンガつくりの洋風建築がずらりと立ち並んでいる。独特の「まちなみ」を構成している。武田五一設計の「毎日新聞社」のビル。昔のままの雰囲気をそのままうまく残して中だけを商業施設に改装した「SACRAビル」。「日本生命保険京都三条ビル」。東京駅を設計した辰野金吾が、同じく赤煉瓦に白いラインで構成した「京都文化博物館(旧日本銀行)ビル」。日本初の「ファサード(外壁)保存」に成功した「中京郵便局ビル」など。ひとつひとつのデザインも素晴らしいが、町並みとしての心地よい趣きがある。港町のような開明性や風格が、そこから生み出されているように感じる。そう感じるのは僕だけではないと思う。

 しかしさらにこの「三条通り」の開明性や風格ある町並みは、洋風建築群からだけが生み出しているのではないようだった。それ以前のこの通りの歴史的な成り立ちからすでにその性格は由来しているのだ。そのことを教えてくれたのが先の不動産屋の主人だった。
 この通りは、かつての東海道五十三次の街道の延長線上にある。つまりこの「三条通り」を真直ぐそのまま東へ東へと歩いて行けばやがて東京の日本橋にたどり着くことになる。逆に言えば、東海道を江戸から旅してきた人達は三条大橋を渡りようやく京にたどり着き、そのほっとした気分のままに賑やかに並ぶみやげ物屋を左右に眺めながら「三条通り」を通って宿までの歩を進めたのだ。
 河原町通りや四条通りといった他の大路の賑やかさにはない、どこか晴れやかな明るさの発現が感じられるのはこの点にあるのではないだろうか。東海の陽光がそのまま通って入って来るような、あるいは旅人をおおらかに受け入れようとするような見通しの良さ。
 「京都三条通り」は、京都の町の中でもホワイトホールのように思えるのである。