「まちなみ」を旅する。

『まちなみ』2004年10月号 大阪建築士事務所協会発行


10. まちなみ、発見!自分だけの「まちなみ」。  

             ―― 日田市、ワイキキ海岸通り、石塀小路。

 旅をするというのは、つきつめてみると自分だけの「まちなみ」を発見することと言ってよいのではないだろうか。したがってそれは遠くへ行くことを示していない。永六輔の言うように「街角を曲がれば、そこが旅。」である。  自分にとって素晴らしいと思える「まちなみ」発見の瞬間は、ワクワク、ドキドキ「やった!」となる。しかしその発見に至るには、ちょっとしたコツが必要なように思う。まず自分だけの「まちなみ」なのだから、自分の足で自分で探さないとそれは見つからないということ。人に聞いてもなかなか見つかるものではない。とくに地元の人がすすめてくれるところには意外と求めるものが少ないというのが僕の感想である。どうもそこには求めるものに対する価値観や視点の違いがあるようなのである。地元の人が求める方向はどうしても暮らしに便利で都会的なものになり、それは旅人が求めるほのかなあこがれとちょうど反対の方向にあるようだ。もちろん、だからといって人に聞くのがまちがっているというわけではない。教えてもらおうというのではなく、酒でも酌み交わしながらこれはと思った人とゆっくりと話し合ってみれば少しづつその土地の本当の持ち味が見えてくるのではないかと思う。そしてその土地の持ち味が、自分でわかっている人というのはむしろその町を一歩出て、外からの視点を得て帰って来たひとに限られるかもしれないという点に「まちなみ、発見」の難しさと面白さがある。   

 駅から続くメインストリートなどにはまずそれはないと言ってよい。これはなぜだろうか?最近の町並みは車中心に作られている。もちろんそれは車の中から見て美しくみえるようにといった配慮ではない。あくまでできるだけタクシーやバスがうまく並ぶようにとか、駐車スペースは大きい方がよいといったような車を中心とした物理的な計画によるものである。その計画からは美しい「まちなみ」は生まれないし残すこともできない。だから駅から続くメインストリートなどにはまず求める「まちなみ」はないと思ってよい。道を一本入った平行するもう一本の通りにそれはある。裏通り、あるいは「旧街道」。そこには人の暮らしがあった。現在の駅周辺や中心地から消えたものが道を一本入ったところには残っている。経済中心に計画された町並みと、本来の「まちなみ」に大きなずれが生じつつあるのが現在の状況なのである。これをいくら憂いても仕方がないが、せめて「まちなみ」を発見しようという探検家はメイン通りをぷいとすてて、裏通りに向かうべきである。その時はついでに車も一緒にすてること。車をすてて自分の足で歩くとその町の成り立ちが見えて来る。たとえば川沿いのひと一人しか通れない小さな散策路をたどると、やがて目を見張るような風景が立ち現れてくるというものなのである。

 九州の日田という町を歩いた時もそうであった。かつては天領地として経済、文化ともに栄えた町である。造り酒屋や白い土蔵つくりの家の並ぶ品の良い町並みが今も美しい。向こう岸が霞んで見えないぐらい川幅の広い大きな川が町の中心を流れている。三隈川という。この川に沿って古くからの旅館などが幾つも並んでいる。日の暮れかかった頃、町の探索に疲れてひとり宿に向いながらふと、並ぶ旅館と旅館との間に勝手口に続くような細く狭い路地があることに気付いた。人ひとり通れるかどうかのこの路地に入ってみる。やがて細い路地の先が急に開け、目の前に広大な川面が広がった。対岸に沈む夕日が水面に映えて美しい。川に沿うように細い散歩路が左右に続いていることにも気付く。このような路のあることは表の車通りからは全く分からない。この川沿いの路をしばらく歩いてみると、途中に桟橋のような小さな船着き場がある。たもとに細い小さな柱が立っていて、白い札が一枚取り付けてある。札には「御用の方は、ボタンを押してください。」とある。たしかにその下にはボタンが唐突にぽつんと付けられてあり、しかしボタンを押すといったい何が起こるかなどの説明は全くない。行きつ戻りつその前で何度か迷ったあげく、思い切って押してみることにする。ぐっと押す。しばらくは何事も起こらない。「なんだ、なにも起こらないではないか」とがっかりする。反面ほっとするような気持ちでその場を離れようとすると、小さく遠く波を二つに分けるようにして一艘の和舟が川面を渡ってこちらに向って来るのがわかる。夕日を背にしてどうやら舟の上にはハッピのようなものを着た男が二人。一人が後ろで舟を操作し、もう一人が屈むようにしてこちらに方向を定めているように見える。桟橋のボタンはこれを呼ぶためのものだったのだろうか。やがて慣れた操作で船を素早く桟橋に横着けすると、前の男がさっと僕の手を取るようにして「どうぞ」と招き入れてくれるや、舟は再びきびすを返すようにして川の中央に向った。やはりそうだったのだ、僕を迎えるために来たのだ。しかし川の向こうにはいったい何があるのだろう。川風をいっぱいに受けながら前方を見つめていると、遠くにやがて小さな島のようなシルエットがくっきりと見えてくる。提灯の灯も影の中に幾つも見える。それは何十隻もの屋形舟が集まって、川の真ん中に出来た水上回廊であった。タイかベトナムかの観光写真で見たかもしれない、どこか妙に懐かしいような風景であった。  

 舳先を固定してもらいながら舟を降りると、案内人に導かれるように筏の橋を歩く。すぐに暖簾の掛かった舟屋の入り口が待っている。入り口のたもとでは川魚が炭の上で勢い良く白い煙を上げている。料理盆をもって忙しそうに行き来しているたすき姿の女性。見渡すような広い座敷きに入り、船べりの席に着くと大きく開け放たれた縁側の向こうには遠く白く霞んだ黄昏れの街の景色が見えている。ヒタヒタと波が舟を打ち、軒の下から上を見上げると青い空にはまだ白い雲が浮かんでいた。予期せぬ「まちなみ」風景との出会いであった。しかしこの「まちなみ」はあの細い路地からつながっていると言ってよいのかもしれなかった。表通りから一歩あの細い路地に足を踏み入れた瞬間、別世界への入り口が開いてそれがここまで僕を連れて来てくれたのである。そのような異空間への入り口を見つけようと歩くのが旅ではないかと思う。そのためには日頃からキョロキョロ町を歩くくせをつけておかなければならない。いつ、どこにそのような入り口が待っているか分らないからだ。街角を曲がれば旅。そこに自分だけの「まちなみ」が待っている。  

 人によっては「それがどうしたの?」という人もいるかもしれない。白く霞んだような川向こうのビルが、夕暮れの中に見えたからといっていったいそれがどうしたという人も多いだろう。「まちなみ」とはあくまで自分だけの喜びでしかない。自分にとって美しいと思える発見があるだけのことである。しかしそれがたとえ自分だけのものであったとしても、生涯にこれはと思える「まちなみ」経験を持っているかどうかで人生は変わる。自分の好きな「まちなみ」発見!それこそが「自分自身」の発見なのである。  

 世界でもっとも有名な観光地ハワイのワイキキにも、脇道を一本入るだけで自分だけの「まちなみ」発見の路がある。大きなホテルやブティック、ショッピングセンターが並ぶ Kalakaua 通りからどれでもよい、ホテル脇の小路を海へと入ってみればよい。そうするとそこにもう一本小さな細い路が、ホテルの裏手をつなぐように海に沿って続いているはずだ。片側は海の広がる静かな波打ち際。片側は低い生け垣の向こうに各ホテルのプールサイドの青い芝生とパームツリーの庭が眺められる。その間を細い路が一本ずっと先まで続いている。夕方ともなるとどのホテルでも篝火に火が入り、その火に照らされるようにしてハワイアンの演奏が始まる。しかしこの細い散策路のあることに気付くものはいない。この細い路は各ホテルのひとつひとつの個を超越したような、どこへでも入っていける存在なのだ。自分の泊まるホテルばかりにいる必要はない。気が向いたら低い柵を押してその路に出る。広い海を眺めながら海辺をたどって行く。ホノルルから見る夕日の美しさには特別なものがある。黄金色の太陽から、瑠璃色の天上へ。見事に空の色が変化していく。そして天空に小さく一点、宵の明星が光っている。  

 1935年7月3日、このワイキキ海岸に並ぶ歴史的なホテルのひとつ「Moana Hotel」(ピンクホテルとも呼ばれる)の中庭、大きなバイアン・ツリーの樹の下から初めてのラジオ番組「ハワイ・コール」がアメリカ本土に向けて放送された。この楽園からの曲は今僕達のよく知るハワイアンの原曲にあたる「ハッパ・ハオレ」という、英語で歌われた「疑似ハワイアン」だった。当時はまだ短波放送で音質状態も良くなく、ザーッ、ザーッという雑音がとぎれとぎれに入ったらしいが、それでも本土で耳を澄ましている人達にとってはそれがハワイの波間をゆれて伝って来る音のように聴こえたらしい。仕事のためにハワイを訪れる機会が多く、この一種独特の観光ムードに僻々:へきへきしていたのだが「もう一本の路」の発見でずいぶんと気持ちが楽になったことを覚えている。そこにワイキキ海岸の「歴史」が一瞬垣間見れたからであろう。  

 さらにもうひとつ「もう一本の路」で思い出すのは京都の「石塀小路」だろうか。参拝客で賑やかな八坂神社から離れ、清水寺への道から一本脇に入るとそこに「石塀小路」がある。静かなだけでなくいつも打ち水をしたように石畳がしっとり濡れて、本通りよりも百倍も風情がある。路の両側に沿って石垣の上に小さな庵の木戸がポツポツと並んでいる。夜には暗い生け垣を越えて、庭の苔や沈丁花が静かに漂ってくる。喧噪の町の中にあってもそこだけが深い東山の山ふところに抱かれているようで心が安らぐ。そしてもっとも大きな不思議は一本筋が違うだけなのに、そこを知って歩く人が本道よりも百倍も少ないということである。なぜ人は、人の歩くところしか歩かないのだろう?皆んな、皆んなが歩く道だけを歩いているように思える。皆んなが歩く道は、無難ではあるが風情もなく、自分にとっての発見もないはずである。もちろんいつもいつも探検家である必要はない。皆んなと一緒になって歩く道中も楽しいものである。しかしたまには自分の路を見つけて自分の路を楽しむべきではないだろうか。でないと最後の最後に後悔するように思う。なぜなら脇にそれたもう一本の路こそ誰でもない、本当の自分の路だからである。