「カジモド」の話し。

『Quasimodo』ですが、これはBarです。「カジモド」の意味はビクトルユーゴの小説『ノートル=ダム・ド・パリ』に登場する、片目で背が曲がり、毎日教会の鐘つき堂で鐘をつくことを仕事としている男の名前からとったもの。この店の主人の発想です。本来、宗教的な日を示しているのだそうです。
実はこの小説に登場する「せむし男」、見かけはあまり良くなくても、家柄も良く教養もあり世の中のせちがなさとは無縁の純粋性を持っていることが物語の骨子にもなっています。

このBarのデザインを頼まれたのは、その店の開店のちょうど3ヶ月ほど前。内装のデザインはすでに進んでる中で、店の顔となるロゴを良いものにしたいと言う店主の願いで、内装を受け持った家具屋さんから知人の知人の知人へと伝って僕に行き着いたということが始まりでした。

事務所に近いこともあって、電話で話しを聞いたその日の夕方に、早々にこの店主のもとに作品集などを抱えて話しに行くことにしたのが最初です。

会った瞬間にそのただ者でない面白さが、その店主の風貌から判りました。その後も店の案内状の絵を描いたりしているのは、この人柄からかもしれない。しかし僕が会いに行った時は、彼はまだ「八百屋さん」でした。二条と高倉の角にある家の空きスペースに、箱に入ったままの野菜や果物を並べた「八百屋さん」。日の暮れたあとの人通りの絶えた、ちょっと寂し気な通りに面した店の奥に果物の箱に囲まれるようにして一人本を読んでいる姿が見えました。それが店主の澤口さんでした。多くは語らないのですが、いろんな経歴を持ち、フランスにも10年近く暮らしていたということでした。

澤口さんのこの「本が好き」「音楽好き」が彼のバー作りの動機でした。人生の終盤を自分の好きな世界の中で、それを理解してくれる人と共に生きたい。八百屋の奥を改装しバーにする。好きなレコードをかけ、本を読みながらゆっくり客の来るのを待つ。そんな店のイメージを考えながら鏡を見ていると、自分がせむし男の「カジモド」に見えたのだそうです。僕はその話しを聞いた瞬間、この人の「欲の無さ」が好きになり、店作りを手伝ってあげようと思ったのでした。

自分の顔を見て、せむし男を連想する人は少ないでしょう。人は、自分をそのようには見れないからです。もっといいように見る。仮にそう見れる人がいたとしたら、それは相当「欲の無い」人です。僕は澤口さんを、最初に出会った瞬間「欲の無い、面白い人」と読んだのでした。

店のロゴはすぐ出来ました。なぜなら最初から絵のテーマが決まっていたからです。あれこれ考える必要がない。「せむし男」=澤口さんを描けばよい。ただし、「せむし男」の自分なりの解釈が必要で、それをはっきりさせなければいけませんでした。

『ノートルダムのせむし男』は何度も映画化されています。昔の映画のポスターなどを見ると、どれも怖そうな表情です。しかし僕は怖くはない純粋で一途な「せむし男」の姿が描きたい。表面だけの綺麗さが世の中には満ち過ぎている。僕は澤口さんの意向を継ぐつもりで、人は「醜い」と言うかもしれないけれど、ちっとも醜くなんかない。人がなんと言おうと中味こそ美しい「せむし男」を描いてやろうと思いました。その思いがこの店から発信されるとよい。これが僕からのメッセージでした。

この「カジモド」の絵は、今店の前のギャラリーのようになった壁の一部に、看板として展示されています。真っ赤な鉄の額に入り、何気なく店の前を通った人は、いったい何だろうと思うかもしれませんが、来る時はぜひこの看板を目印にしてもらいたいと思います。

さて今回のポストカードですが、「暑中見舞い」のつもりのこの絵は、まさに「月」です。外が昼間のように明るい宵には、帽子をもって町に出ようという絵です。まるで水の中のようにくっきりと澄んだ空にぽっかり浮かぶ月。帽子をかぶった自分の影もきっと、はっきり映っている。「銀色に輝く月の光に一一」と思わず鼻歌が出るような、そんな夜はちょっと「カジモド」に寄ってね、という意味です。

冬のカードはこの店の「薪ストーブ」をモチーフにしましたが、夏は何もないので「月の光り」です。月に誘われ店に入れば、澤口さんがちょっと大きめの音で蓄音機にSPレコードをかけてくれるでしょう。びしびし針の音の入ったシャンソンに、ヨーロッパのジャズ。7月の14日(京都では宵よい山の夜)が『Chez Quasimodo』の開店記念日になります。実は「パリ祭」の日です。特別何もありませんが、カードで「ちょっと涼しい月の夜を贈る」の感じです。

最近はようやく「お客さんゼロの日」が無くなったのだそうです。店を始めた頃は一週間の内3日ぐらい、お客さんのない日があったのだそうで、レコードをかけ、ウイスキー瓶を磨いて本を読みつつそれで終わってしまう。さすがにそれでは、あの果物の箱に囲まれるようにして一人本を読んでいた「八百屋さん」の頃と変わらないではないかと思うのですが、でも僕はそんな澤口さんが好きなのかもしれない。ひとりぼっちであることなど気にする様子もなく、本から目を上げると、「やあ」とにっこり笑う。この歌の歌詞にもあるように「ただひとり 寂しく悲しい夜――」は、「帽子を片手に 外に出てみよう」なのだ。

14日の夜、外に出て空を見上げたら、この絵と同んなじ月が出ていたら素敵だねと、澤口さんと笑い合うのでした。絵やデザインという仕事の面白いのはこのような時です。そして僕は絵やデザインを通してこのような「出会い」や「人のこころ」を伝えたいのだと思います。